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2003年7月1日

広島県教職員組合「尾道市高須小学校校長『自死』調査委員会」

最終報告1

はじめに

 2003年3月9日、尾道市立高須小学校の慶徳校長が自らの命を絶った。民間人校長として採用され、1年足らずの出来事である。広島県教職員組合(以下、広教組)は慶徳校長の死に際し、衷心より哀悼の意を表するものである。
 今となっては、慶徳校長本人からは、苦悩と自ら命を絶った理由を確認することはできない。
 しかし、広教組は同じ教育に携わるものとして、なんとしても慶徳校長の自死の真相を明らかにしなければならないことを強く感じ、2003年3月28日、「尾道市高須小学校校長『自死』調査委員会」(以下、広教組調査委員会)を設置した。広教組調査委員会は、この間、高須小学校教職員をはじめ、高須小学校関係者から精力的に聞き取り調査を行い、精神科医の野田正彰先生と弁護士の山田延廣先生に調査分析を依頼してきたところである。2人の専門家への依頼は、悲劇を繰り返させない教訓を明らかにするため、第三者による分析が絶対条件であると確信したからである。 
 本調査委員会の最終報告は、以下に示した「調査・分析の視点」を中心にまとめた。なお、第三者によらない身内調査で、意図的な事実の隠蔽と歪曲が疑問視されている広島県教育委員会(以下、県教委)及び、尾道市教育委員会(以下、尾道市教委)の最終報告に対する批判的な検討も行っている。

1.調査・分析の視点

 広教組調査委員会は4月21日に中間報告を行い、慶徳校長の1年間の様子について、高須小学校教職員や高須小学校保護者等からの聞き取り調査によって次のことを明らかにしている。

(1) 学校システムや教職員の仕事についての知識、認識が不足していた。
(2) 校長としての任務が果たせないことで自分を責めていた。
(3) 教職員との意思疎通に悩んでいた。
(4) シラバスなどの提出書類に苦悩し、サポート役の教頭の負担も倍加していた。
(5) 5月10日に藤井教頭が脳内出血で倒れたことで自分を責めていた。
(6) 5月13日、病院で「うつ病」と診断され、診断書を持って病気休暇を申し出ていた。その後、「うつ病」の投薬治療を続けていた。
(7) 2月14日に坂井教頭が心筋梗塞で倒れて以降は教頭不在の状況となり、尾道市 教委のサポートが十分でなかったことに不安と不満を感じていた。
(8) PTAとの対応も過重労働になっていた。
(9) 自宅から遠い高須小学校への勤務に負担を感じ、5月には尾道市内に転居してい た。

 広教組調査委員会は、「慶徳校長や教頭の勤務実態や仕事量」「慶徳校長の病気休暇願いや診断書に対する教育委員会の対応」について早急に事実を明らかにしなければならないことを確認、県教委及び尾道市教委に対し、校長の仕事量と勤務実態を明らかにする資料の開示請求を行った。同時に、関係者への聞き取り調査を継続してきた。また、山田弁護士、野田教授に、以下の視点で調査分析を依頼した。

(1)校長の勤務実態について
○ 慶徳校長及び教頭の勤務実態と仕事量について
○ 教育委員会から求められていた報告書などについて
○ 校長の病休を尾道市教委が受理しなかったことについて
○ 2人目の教頭が倒れた後、教頭が配置されなかった背景について
○ 教頭不在の状況での尾道市教委のサポートについて
○ 自死に至るまでの精神状態について

(2)校長の学校運営について
○ PTAとの校長との関係について
○ 尾道市教委の指導・助言と校長権限との関係について
○ 教職員と校長との関係について

(3)民間人校長の制度について
○ 民間人校長の制度について
○ 広島県における民間人校長登用制度導入の手続きについて
○ 広島県における民間人校長の選考基準及び募集のあり方について
○ 広島県における民間人校長の事前研修のあり方について
○ 慶徳校長に対するサポートシステムや配置校の規模について

2.調査の結果

(1) 校長の勤務実態についての調査結果

(ア)慶徳校長と教頭の勤務実態

 5月22日、「高須小学校の学校警備保障の時間記録」(別紙資料1)と「教育委員会が校長に求めた提出書類一式」(別紙資料2)が情報開示された。広教組調査委員会は、これまでに高須小学校教職員の超過勤務記録簿を入手し、月80時間を超える超過勤務が常態化していた事実が明らかにしてきた。さらに管理職の超過勤務の実態を明らかにするため、高須小学校の学校警備保障時間記録簿を開示請求し資料を入手した。以下の表(表T)は、高須小学校の警備保障システムにより、職員室が開いた時間と閉まった時間を確認し管理職の勤務実態を推測している。これによると、勤務日数を8日間で計算している2003年3月と夏期休業中の2002年8月をのぞいて、全ての月で超過勤務が150時間を超えていたことになる。特に10月は超過勤務が200時間を超え、休日も含め、全ての日で職員室が開かれている。また、坂井教頭が不在になった2月15日から慶徳校長が自死する前日の3月8日までの超過勤務は159時間53分で、勤務日数の22日で割ると、一日平均の超過勤務時間は7時間16分となる。

「藤井教頭は本当に大変だったと思う。毎日のように、夕方から夜にかけて慶徳校長と話をしていた。だから脳内出血で倒れたのだと思う」

「校長先生は仕事が忙しく、4月の半分はホテルに泊まっていた。だから、5月になって尾道に家を借りることになった」

「坂井教頭は(5月に)赴任して毎日校長と6〜7時間話をしていた。(教育委員会から来る通知の説明や、職員への説明の仕方まで丁寧に教えていた) 校長と話をすることで坂井教頭は教頭の仕事があまりできなかった。教務主任が教頭の仕事を一生懸命手伝っていた」

「坂井教頭は12時くらいまで仕事をすることが多く、因島大橋のパーキングで仮眠して家に帰り、朝5時くらいに家を出る生活の繰り返しだった。『こんな生活をしていたら倒れますよ。少し休んでください』と職員が声をかけていた」

「校長先生は教頭先生が倒れてから、特に遅くまで残っていた。『戸締まりは私たちがしますから、早く帰ってください。』といっても帰らなかった。」

(イ)教育委員会から求められていた報告書

 「校長に提出を求めていた提出書類」について、尾道市教委から情報開示されたものの総枚数は指示文と報告用紙で合計1260枚であった。校長の多忙化につながったと考えられる提出書類については、6月16日、尾道市議会の総務委員会でも取り上げられ、尾道市教委の黒木学校教育課長は、「2002年度学校へ下ろした文書は1567件あり、うち約370件について報告を求めた」ことを説明している。

  (表1)


 

 
超過勤務時間
 
1日平均
 
勤務した日 勤務を要する日 勤務を要しない日 実際に勤務を要しない日に休んだ日 こよみ
 
2002年  4月
 
190時間
  41分
6時間
 21分
30日
 
21日
 
 9日
 

 
30日
 

 
 5月
 
159時間
  10分
5時間
 53分
27日
 
21日
 
10日
 
4日
 
31日
 

 
 6月
 
170時間
  33分
6時間   5分 28日
 
20日
 
10日
 
2日
 
30日
 

 
 7月
 
175時間
  53分
5時間
 40分
31日
 
23日
 
 8日
 

 
31日
 

 
 8月
 
100時間
  24分
3時間
 27分
29日
 
22日
 
 9日
 
2日
 
31日
 

 
 9月
 
171時間
   8分
5時間
 42分
30日
 
19日
 
11日
 

 
30日
 

 
10月
 
209時間
  35分
6時間
 45分
31日
 
22日
 
 9日
 

 
31日
 

 
11月
 
171時間
  45分
5時間
 55分
29日
 
20日
 
10日
 
1日
 
30日
 

 
12月
 
179時間
  26分
5時間
 47分
31日
 
19日
 
12日
 

 
31日
 
2003年  1月
 
152時間
  54分
5時間
 16分
29日
 
19日
 
12日
 
2日
 
31日
 

 
 2月
 
185時間
   3分
6時間
 51分
27日
 
19日
 
 9日
 
1日
 
28日
 

 
 3月
 
60時間
  51分
7時間
 36分
 9日
 
 5日
 
 4日
 

 
 9日
 
 計
 

 
1927
時間23分

 
331日 230日
 
113日 12日
 
343日

  ※なお、3月については8日間。(勤務した日は9日間) ※勤務を要しない日とは、土・日・祝日・年末年始(12月29日から1月3日)。  

(ウ)教育委員会の「病気休暇願」ヘの対応と「診断書」のウソ

 5月10日に藤井教頭が脳内出血で倒れた後の5月13日午前11時、慶徳校長は尾道市教委を訪れている。そして山崎教育長に会い、慣れない学校現場の状況などから心労が重なり病院に行くことを告げている。直後、JA尾道総合病院へ行った慶徳校長は精神科で受診、医師から「中程度のうつ病」と診断され、「1ヶ月休養」の診断書を受け取っている。
 慶徳校長は受診後すぐ、高須小学校の職員に電話をかけている。「中程度のうつ病と言われました。私はもうダメです」と今にも死んでしまいそうな声だったとその職員は証言している。あまりにも切迫した慶徳校長の声を心配して、職員は真神田前高須小学校校長に助けを求めている。真神田校長は急いでJA尾道総合病院へ向かったが、慶徳校長と行き違いになってしまった。高須小学校に電話をし、尾道市教委にいるのではと教えられ、急いで尾道市役所(尾道市教委は尾道市役所の4階にある)に行くと、慶徳校長が1階ロビーのイスにうなだれて座り込んでいた。「どうしたんですか」「教育委員会に行きましょう」と声をかけて、一緒に4階の教育長室へ行った。教育長室には、山崎教育長、山岡教育次長、黒木学校教育課長、高橋小学校校長会長、川中指導主事の5人がいた。そのとき、慶徳校長は診断書を示し病気休暇を申し出ている。しかし、山崎教育長に「あなたの後ろには経済界がついているんですよ」「がんばってください」など、逆に叱咤激励され、病気休暇をとらせてもらえなかった。真神田校長と一緒に帰った慶徳校長は、夕方の暮会(教職員のおわりの会)で涙を流して、がんばりますと言ってる。
 尾道市教委はことの重大性に最初から気づいており、教育長室にいた真間田校長には同日3時頃「あの件はマル秘扱いになりました」と指導主事が口止めの電話をかけている。また、慶徳校長にも同日19時に黒木学校教育課長から「病名については秘密扱いにしておくように」という指示がなされている。
 こうした事実からわかるとおり、県教委及び尾道市教委の最終報告は「診断書」の存在や「病名」を意図的に隠している。また、ことの重大性を最初から認識していた尾道市教委は、自分たちの身を守るためだけに(うつ病の慶徳校長の心配をすることはなく)、隠匿工作を行っている。
 県教委の最終報告によれば、慶徳校長が病気休暇を申し出て以降、慶徳校長を診断した医師に県教委が助言を求めたことになっている。これが事実ならば、慶徳校長が「うつ病」であったことは、この段階(5月21日)で県教委も認識していたことになる。慶徳校長は、5月13日の尾道市教委訪問以降、診療時間の関係から、他の病院(精神科)にかわっているが、その後、向精神薬の量と種類が増えている。県教委及び尾道市教委の最終報告は10月1日の会合の時の慶徳校長の様子を「表情が明るく落ち着いた様子」としているが、慶徳校長の「うつ病」は回復に向かうのではなく悪化していたことが投薬の量から伺える。さらに尾道市教委に対する慶徳校長の「休ませてほしい」との申し出は、「自死」に至るまでの間、何度も繰り返されたという。慶徳校長に近い関係者は慶徳校長の教育委員会に対する次のようなメモがあることを語った。「教育委員会は血も涙もない鬼だ。何度休みたいと言っても休ませてくれない」

(エ)自宅から遠い学校に勤務する慶徳校長の負担

 慶徳校長が本当に民間人校長を希望していたのかという点について、疑問を投げかける声が多くある。「出向先として広銀から言われた」「急に決まった」「会社の意向を引き受けた段階では小学校の校長とは思っていなかった。高校とかの事務関係の管理職を考えていたのではないか」「本当にまじめな人だったが、もともと教育に情熱を持っていたわけではないし、子どもは好きではなかった」などの声である。その中で、慶徳校長が民間人校長を引き受ける際、県教委に出していた条件については、複数の関係者が慶徳校長から直接聞いていた。

「校長先生は、校長を受けるとき『家から通えるところ』『小規模校』『問題のない学校』という3つの条件を出した。(県教委からは)この3つの条件から外れていれば断ってもいいという話だったが、高須小学校だと教えられたのは記者発表の前日だった(ので断れなかった)」
採用に際しての条件が実現しなかったことで慶徳校長の負担が大きくなっていったことが明らかになっていった。
「赴任当初は府中町の自宅から90分くらいかけて通勤していた。『府中に家を建てたが、転勤が多くてほとんど住めなかった。家から通いたかった』と言っていた」

「5月になって尾道に家を借りることになった。『今のままでは体が持ちません。どこか良い家はないですか』と複数の教職員に相談していた」

また、「2月26日にはPTAの役員が(慶徳校長の)学校を替えて欲しいと市教委へ頼みに行ってくれたから、学校がかわれると思っていたらしい。3月になって『民間人校長だから簡単に替えられない』と言われて校長先生はすごくショックだったようだ」

 慶徳校長は高須小学校へ採用された後も「自宅近くに」という希望を尾道市教委へ告げている。そして、連日の超過勤務の中、「自宅からは通えない」という判断を余儀なくされ、尾道市内に住居を移転したのである。「休む」という希望が閉ざされる中で、「4月になれば」「自宅近くになれば」という「願い」を、坂井教頭が倒れた一番苦しい時期にも尾道市教委へぶつけている。自死される直前のことである。このときの尾道市教委の対応は「民間から来た校長なので1年で移られては困る」「早く成果を出してほしい」と、慶徳校長の希望を突き返している。一方で、尾道市教委の最終報告は、慶徳校長の転勤希望を実現するために努力をしたことになっている。ではなぜ、希望は実現しなかったのか。このことについては、むしろ県教委が真相を明らかにしなければならない。いずれにせよ関係者の聞き取りによれば、慶徳校長にとって「このときのショックが一番大きかったのではないか」ということであった。

(オ)慶徳校長の苦悩

 慶徳校長の一年間の苦悩を聞き取り調査から抽出した。その中で、「慣れない職場の中で教職員や子どもへの接し方で悩んでいたこと」「児童転出による学級減で教職員が2人辞めなければならなくなったこと」「教頭が病気で倒れたことでの精神的な負担」「うさぎ事件に象徴されるように、毎日のように起こる予測できない学校での出来事に悩んでいたこと」「PTAとの様々なトラブルに悩んでいたこと」「様々出されてくる教育委員会からの指示やとりくみに対して校長としての自信を失っていったこと」「急遽県教委のTTの監査が入ることになりその対応に大変悩んでいた」などが読みとれる。

 「4月3日付けで、6年生が1名転出することになり、6年のクラスが4クラスから3クラスになった。それによって2人の先生が辞めなくてはいけなくなった。『自分の力が足りないせいだ』と悩んでいた。クラスが減ることにより、時間割も校務分掌も替えなければならなくなり、学校全体が非常事態となった。校長先生は『皆さんに申し訳ない』と何度もいっていた」

 「校長先生は、藤井教頭先生が倒れてショックだったようだ、自分のせいだと自分をすごく責めていた」

 「『藤井先生が倒れて自分で仕事をしないといけないと思うと、ショックだった』と言っていた」

  「校長先生は、最初から校長室に閉じこもりがちで、教職員や子どもと接することをしなかった。坂井教頭が、2学期から、朝、校門にたって子どもたちを挨拶で迎えることをすすめた。授業参観や補教(休んだり、出張で出かけた教職員の代わりに授業に出ること)に行くこともすすめた。3学期になって慶徳校長は補教に行くことが今は一番楽しいといっていた」

  「いろんなことが毎日のように起こった。ウサギ事件、万引きの件、児童相談所の件、サラ金からの脅しの電話もあった。校長先生は一つ一つのことをくよくよ考え『今日もいいことがなかった』といつも言っていた。坂井教頭は校長先生に『一つ一つのことを楽しんでやらなければ、やっていけませんよ』とよく言っていた。」

 「校長先生は、坂井教頭を頼りにしていた。坂井教頭が倒れてから『教頭が2人も倒れたのは自分のせいだ』『自分がいろいろ聞いたからだ』と自分を責めていた」

 「校長先生はいろんなことをすごく気にする方だった。」

 「10月26日に『うさぎ事件』が発生した。27日(日)には130周年記念祭があった。28日には(月)には『うさぎ事件』で全校集会をもった。29日にはマスコミが大勢つめかけ校長先生は精神的にも疲れ切っていた。その後、31日、PTA実行委員会で夜10時過ぎまで『うさぎ事件』を協議し、11月2日のPTA総会では、あれこれ質問責めにあうことが耐えられない様子で立ったり座ったりしていた。後片づけをしているとき校長先生が胸を押さえてしゃがみ込んだ、「大丈夫ですか」と声をかけると「大丈夫です」と言って立ち上がったが顔色が悪かった」

 「11月3日(日)2年生の児童が亡くなった。11月4日(月)通夜。11月5日(火)葬儀があった。亡くなった児童の前の担任はもちろん関係の職員は皆、葬儀に参列するものと思っていたが、『担任以外は、葬儀に参列する場合は年休を出させるように尾道市教委に言われた』と校長が言った。そんな対応は今まで聞いたこともなく、教職員から質問が出たが、『私もおかしい(教育委員会の言うことが)と思うが、上からの指示なので仕方ありません』といっていた。このことでも悩んでいた」

 「教育委員会から新しいとりくみが提起されるたびに校長先生は自信をなくしていった。人事評価制度では『授業もできない自分に先生たちを評価することはできない』と何度も言っていた」

 「3月7日、木ノ庄東小学校の花咲校長を呼んで人事評価制度の講習会をした。花咲校長は校長がやるべき仕事を次々と説明した。研修終了後も校長室でしばらく花咲校長と話していた。終わった後で『自分にできないことばかり言われた』と落ち込んでいた」

 「3月6日、TT(ティーム・ティーチング=複数教員による授業)の報告に問題があるとの指摘を受け、尾道市教委の実態調査があった。(その書類をそろえるため遅くまで作業をした)校長はTTの報告に間違いがあるのではないかとすごく不安がっていた。」

 「尾道市教委の調査が終わるとすぐ、引き続き県教委(尾三教育事務所)から調査が3月11日に入ることになった。元銀行員の校長先生はこのような調査をすごく気にしていた。教務主任が『私が整理します』と言っていたが、急に3月10日に調査が変更になり心配していた」

(2) 校長の学校運営について

(ア)PTAと校長との関係

 聞き取り調査をしていく内に、PTA関係の会議や行事に多忙を感じ、またPTAからの校長に対する意見や要望、PTA内での意見対立などで悩んでいたことが明らかになっていった。

 「5月13日(JA尾道総合病院で『うつ病』と診断された日)の夜、PTAの委員会で運動会についての要望が出された。学校が受け入れない旨を伝えると、『PTAは学校行事に協力しない。運動会も学校だけでやればよい』という発言もあり、心をいためていた。」

 「6月11日に、高須小学校関係者の連絡会議(高須小学校PTA役員、校長、教頭、尾道市教委、尾三教育事務所、県教委が参加)を持った。慶徳校長が県P連の大会で愚痴を言ったのを聞いて、慶徳校長から話を聞こうという会だった。一部PTA役員が教職員を批判する場面で坂井教頭が『ボタンの掛け違いの問題だ。高須小学校の教職員は決定したことは確実に実施している』と発言したことで、『坂井教頭が教職員をかばっている』と一部PTA役員が坂井教頭へ不満を持ったようだ。そのことも校長先生の心労になった」

 「一部のPTA役員は学校の玄関の鍵を持っていて自由に学校に入っていた。セコム(機械警備)のセットの仕方も知っていた」

 「7月にジュニアバレーとフットベースボール大会の時、学校に常時掲揚してある国旗を勝手にはずしてPTA役員の一人が持っていった。かわりに子ども会の小さな『国旗』を掲揚台にあげていた。その後、そのPTA役員は慶徳校長に大会で使った国旗を学校にもってかえるように伝え、校長先生はその日わざわざ学校へ国旗を揚げに行った。校長先生は『文句が言えないので悔しいが、腹が立つ』と言っていた」

 「うさぎ事件の後、一斉下校をしていればどうしても4時半頃からの会議となる。また、一斉下校を続ければ子どもたちへの指導も思うように出来ないことや、保護者ももう疲れてやめて欲しいという状況があった。そこでPTAの実行委員会で、一斉下校は中止の方向でということになった。一部PTA役員は決定を渋ったが、中止の方向で決まりPTA総会で提案することになった。総会での提案の時、実行委員会で何の発言もしなかったPTA役員の一人が(中止の決定に)真っ向から反対した。校長先生はそのことで不満を漏らしていた。」

 「2月26日に尾道市教委へPTA役員が、慶徳校長を別の学校へ替えるようお願いに行っているが、『あんな校長はいらない。追い出してやる』と言っている役員もいた」

(イ)教育委員会と校長との関係

  全ての聞き取り調査を見ていくと、慶徳校長は、教育委員会から出された指示に対して、教頭のアドバイスを受けながら、何とか理解しようとつとめている。しかし、膨大な指示と報告書類に忙殺されていったことがわかる。教職員に説明する前に、慶徳校長自身が理解し納得していたことはほとんどなく、また教職員の質問も理解できなかったのではないだろうか。また微細にわたって教育委員会から出される指示と報告によって、学校の裁量や校長判断で決定できること、決定すべきことについても判断できない状態であったことがわかる。

 「11月3日(日)2年生の児童が亡くなった。11月4日、通夜。11月5日、葬儀があった。亡くなった児童の前の担任はもちろん関係の職員は皆、葬儀に参列するものと思っていたが、『担任以外は葬儀に参列する場合は年休を出させるように尾道市教委に言われた』と校長が言った。そんな対応は今まで聞いたこともなく、教職員から『多くの教職員がこの児童にかかわっている。なぜ教職員の仕事として出席することができないのか』と質問が出た。校長は「私もおかしい(教育委員会の言うことが)と思うが、上からの指示なので仕方ありません」といっていた。このことでも悩んでいた。

 「結局、(市教委)教育長が高須小学校へ顔を出したのは、慶徳校長が亡くなった後の卒業式の時だけだった。教頭が病気で倒れたり、うさぎ事件が起きた大変な時期、高須小学校の教職員が不安に耐えてがんばっているとき、なぜ、高須小学校へ来て話を聞いてくれなかったのか。これは亡くなった慶徳校長だけでなく高須小学校関係者すべての気持ちだと思う」

「坂井教頭が倒れてから、尾道市教委から2〜3時間派遣職員が来ていたが、ほとんど支援にはなっていなかったため、校長は『坂井教頭のありがたさがよくわかる』といっていた」

(ウ) 教職員と校長との関係

 県教委や尾道市教委の最終報告は、「校長が教職員との関係で悩んでいた」とする事例を取り上げ、「校長権限の制約」があったとしている。そのことを慶徳校長自死の原因に強引に結びつけ、これが「教職員との対立」「いじめ」という報道にもつながっている。しかし、聞き取り調査では、校長との意思疎通で悩んでいたのは教職員も同様であったことが明らかになった。「何もわからない」慶徳校長に対して、認識のずれが生じ、質問や意見が集中したこと、そのことは教職員にも悩みや不安としてのしかかっていたことが聞き取り調査からわかる。県教委及び尾道市教委の最終報告で取り上げられている事例は、ほとんどが6月までに集中しているが(別紙資料8)、慶徳校長から充分な説明がされなくても、教職員が質問を控えるようになっていったこと、校長の「病気」を気遣い言葉を選んで話しかけていたことなどがわかった。
 また、教育委員会が提出させた校長の自己診断(6月17日締め切り)を見れば、慶徳校長は、「職員会議などで校長権限が制約されることはないか」という質問項目に対して「はい」と答えている(別紙資料3)通り、校長が提案したとおり実施されなかった事例は一切ない。

 「教職員との意見の違いは確かにあった。しかし、いじめとは全く違うものだった。慶徳校長が赴任してすぐの4月3日、6年生の1名が転校することになり、6年生が4クラスから3クラスになることとなった。そのため、クラス分けをやり直さなければならず、採用していた2人の先生(臨時採用職員)も辞めなければならなくなった。時間割も組み替えなければならず、学校全体が非常事態となった。そんな状況の中で『何とかならないんですか』と教職員から意見が出た。逆に落ち込んでいる校長に対して『学校ではよくあることですからあまり気にしないでください』と慰める教職員もいた。このことを『対立』とか『いじめ』と言われるのなら全く違う。だが、学校現場やシステムがわからない慶徳校長にとってしんどい出来事であったのは事実だ」「慶徳校長は『私の最初の試練です』と言っていた」

 「校長先生は自分の考えで職員会議に提案することはなかった。『教育委員会からの通達です』と必ず言った。最初は職員が意見を言うと驚いたような顔をしていた。カルチャーショックを受けているようだった。(そのことで)みんなだんだんと質問を遠慮するようになっていった。」

 「校長先生はいろんなことをすごく気にする方で、『うつ病』と聞いて話しかけるようにしたが、言葉を選ばなければならず話しづらかった。」

 「校長先生は教育委員会の指示どおりにやるしかなかったし、やろうとしたのだと思う。しかし教職員から見れば、4月になって急に『週案』(1週間の指導計画書)を書くように言われてとまどった。4月当初は始業準備で一番忙しい時期であり、加えて昨年からシラバス(1年間の指導計画および評価計画)づくりが入ってきたことで目が回るような忙しさの中での「週案」の提案だった。『21世紀の学校づくり推進事業』にしても4月になってはじめて聞いた。5.6年生の教科担任生にしても教職員と十分議論できているものではなかった。そんなものが一気にはいってきた。正直、『いい加減にしてくれ』という思いは教職員みんな持っていた。慶徳校長の責任でないこともわかっていた。しかし教職員は、校長を通じてしか何もわからないし、校長に対して意見や質問をぶつける以外、方法はない。納得していなくても、理解していなくても校長先生に質問しないようになっていった。慶徳校長の病気のことは教職員も心配していたから。「わからない専門用語を使って校長をいじめた」と言う誹謗中傷を聞くが、これは教育委員会の責任だと思う」

 「『日の丸・君が代』の扱いについても昨年と違うことを急に言われた。校長先生にとっては提案に対して教職員から意見が出ることが意外だったようだ。教職員は不満はあったが校長の指示通り行った。最初は、認識の違いで校長先生とぎくしゃくすることもあった。(しかし、世間話なども4月はじめからやっていた。)『5月には、尾道で家を借りたいがいいところはないですか』と教職員に相談するなどだんだん親しい関係になっていった」

 「5月の運動会のプログラムも校長先生に事前に見せて、OKをもらっていた。それを刷り終わった後で、尾道市教委から通達があったので、刷り直すかどうか校長先生は悩んでいた。教頭の替わりに尾道市教委から派遣されていた職員が『今のままでいいですよ』といったのでそのままになった」

(3)民間人校長の制度について

 民間人校長の制度については、県教委及び尾道市教委の最終報告にも、事前研修が2日間しかなかったことや、民間人校長への支援態勢について「不十分であった」ことを認めている。民間人校長の制度導入にかかわって、聞き取り調査で明らかになったことは次の通りである。

(ア)民間人校長は、慶徳校長自らの希望ではない

 慶徳校長が、「自ら教育界での仕事を希望していたわけではなく、2002年2月くらいに広島銀行から民間人校長へとの話があった」「急に決まった」ということが明らかになった。県教委の最終報告には、採用の条件として「公教育に情熱を持っている人」とあり、また慶徳校長との面接の中では「校長として学校経営に当たることに意欲的であった」とある。しかし、慶徳校長が子どもと接することに悩んでいたり、「子どもはあまり好きではない」と言う発言があったことも聞き取り調査の中で出されている。採用に当たって提出したリポートについても、自分の考えでなく「いろんな本をつなぎ合わせて書いたんだ」と言っていた。また「私はマネジメントを期待されているけど、私にマネジメントはできない」「自分が生かせるのは高校だったかもしれない。就職とか面接とか(私が)話ができるのは高校だ」とも言っていたとのことである。
 この問題について広教組は、「募集や選考のあり方」「制度導入決定までの経過」について情報開示を求めた。なぜならば、民間人校長の制度導入にかかわって、「なぜ民間人校長の制度導入が必要なのか」「民間人校長に何を求めるのか」「研修のあり方や支援態勢のあり方」について、検討委員会などを立ち上げて専門的に議論した形跡は全くないからである。また、教育委員会事務局での充分な準備も県教育委員会会議でも議論が尽くされた形跡はない。公開公募とせず商工会議所に推薦を依頼して選考するという、あまりに稚拙で拙速な導入という感はぬぐえない。開示された資料(別紙資料4)は肝心な部分が全て黒塗りで見えなくしてある。広教組調査委員会は6月16日に「異議申し立て」を行い、黒塗りしてある部分の開示を求めているが、「民間等からの校長任用に関する手続要項の制定について(伺い)」が、1月31日に起案をされて2月7日に決裁されていることがわかった。決裁までの1週間で21人の関係県教委職員の印鑑が押印されている。形式だけ整えた、実質トップダウンの導入であったことが明らかである。この問題については、今回の最終報告以降も調査を継続していく必要がある。

3.第三者による調査分析

<山田延廣弁護士による分析>

 山田弁護士は労働問題が専門であるため(1)校長の勤務実態と(2)校長の学校運営についての分析を要請した、この分析を結果をつぎのとおり掲載する。

(1) 校長の勤務実態について

1、結論
 慶徳校長の自死は間違いなく人災であると判断する。
 同校長と同様に病気で倒れた2人の教頭も、また、高須小学校の教職員らも被害者であり、また、この問題は、高須小学校だけの問題ではなく広島県の教育行政全体の問題であることをまず指摘しておきたい。

2、本件事件の原因と対応すべきこと
 私が人災と判断する根拠は、慶徳校長の休暇要請を拒否したうえ、教育委員会が異常な超過勤務の実態を放置し続けたことに尽きる。
 この慶徳校長の休暇の申し出を拒否したこと、及びその精神的な影響については、後の野田教授の分析が行われるため、この超過勤務問題に重点を置いて述べる。
 前述のとおり、高須小学校の超過勤務時間は、平均で150時間を超えており、これは労働災害の認定基準をはるかに超えている。ましてや、一時的な超過勤務でなく、年間を通してこの超過勤務が常態化していたことから異常な労働実態であったと言わなければならない。
 こうした異常な勤務状態が、健康であった2人の教頭の病気休職を生じさせ、そして、慶徳校長を死に追いやったことは否定しようもない事実である。
 県教委や尾道市教委の最終報告は、教育委員会としての支援不足や事前研修の日数に問題があったことを認めているが、異常な超過勤務に対応できずに精神的な不調を生じて休養を訴えている同校長を放置し、1260枚に亘る報告書類(市教委によると件数で370件)の提出を要求し続けた教育委員会の責任は重大である。
 坂井教頭は、パーキングで仮眠をとり、早朝の出勤を続けていたもので、この実態は個人の生活権を奪うだけでなく、生存権まで脅かす人権問題であるといわざるを得ない。
 さらに、超過勤務の実態は、広教組調査委員会から提供された超過勤務記録簿によると教職員も月80時間を超えて常態化していることが明らかになっており、労働安全の見地から、管理職も教職員も同様に被害者の立場であるといえよう。
 本件高須小学校の問題の本質はここにあると考える。
 現在、犯人探しがゲームにように、県教委、尾道市教委や一部政治勢力は、「教職員との対立」が自死の原因であるかのように煽っているが、この問題の本質を見失うべきではなく、これを教訓として現状を改善するべきである。
 尾道市教委が慶徳校長に対して求めた360件という数多くの報告書の提出は、高須小学校だけのものではなく、全県下の公立学校に対して求められているものであって、この超過・過密勤務の労働実態は、全ての学校にも当てはまることである。
 また、病気休職者の激増や精神疾患の増加も全県的に学校現場の課題となっていることからもこれを裏付けうる。

3、過労自殺問題
 近年、全国で労働安全問題、特に過労自殺問題が注目されている。日本労働弁護団をはじめとする全国の労働弁護士グループは、すでにこの問題に真剣に取り組んでいる。厚生労働省は、2003年6月10日、2002年度、過労が原因の脳、心臓疾患による労災認定が前年度比で2.2倍に増えたこと、過労自殺などにつながる精神障害の労災認定も前年度よりも43%増加したことを報告し、また、心的外傷後ストレス障害や、うつ病による過労自殺が深刻な状況にあることも明らかにしている。
 私は、マスコミが今回の高須小学校の慶徳校長の自死事件と、この厚生労働省の報告とを関連づけてなぜ報道しないのか不思議でならない。
 厚生労働省は、近年わが国において、サービス残業などの超過勤務が増大している状況を踏まえ、各都道府県の労働局長に対し、2002年2月12日付厚生労働省労働基準局長名で「過重労働による健康障害防止のための総合対策について」なる通知を発した。この通知の主旨は近年の医学研究などを踏まえ、長期間にわたる長時間労働や睡眠不足による疲労の蓄積が脳・心臓疾患の発症に明らかに影響を及ぼすとし、発症前1〜6ヶ月間の超過勤務が月45時間を超えると発症との関連が徐々に強まり、発症前、1ヶ月間の超過勤務が100時間を超えたり、それ以前の2〜6ヶ月間の超過勤務が月80時間を超えると業務と発症との関連性が強いとしている。
 このため、この通知は、上記のような超過勤務が発生した場合、産業医の面接による保健指導、健康診断の受診などを義務づけ、また、過重労働による業務上の疾病を発生させた場合には、原因究明及び再発防止を徹底するよう義務づけている。
 そして、高須小学校の勤務実態は、この厚生労働省の通知が警告した範囲をはるかに超えており、教頭2人の病気のうち一人目は脳疾患(脳内出血)で、2人目は心疾患(心筋梗塞)であることから、超過勤務との関連は疑いようもない。

4、県教委の対応状況
 さらに、私が看過できないのは、県教委がこの「厚生労働省通知」を1年間にわたって放置していたという事実である。県教委は、この通知から1年が経過し、慶徳校長の自死後の2003年4月になり、ようやく、県立校長会と市町村教育長会の会合おいて、単に口頭でのみにより、超過勤務の縮減を呼びかけているのである。しかし、厚生労働省が示した疾患と超勤時間の関係や産業医などとの連携については口頭の説明もなされていないのである。
 当然、健康管理システムやメンタルヘルスについても何らの施策も講じられていない。
 県教委のこうした超過勤務に対する認識が、今回の高須小学校の校長や教頭そして教職員らに対し、深刻な状況を生んだのではないのか。教育委員会は、どうしてこのこの超過勤務の実態を報告書に盛り込み教訓としないのか多大な疑問が存する。
  また、繰り返しすが、マスコミが何故、この本質的な問題を指摘しないのか理解できない。
 厚生労働省の通知を無視し、慶徳校長の「うつ病」「1ヶ月の休養」の診断書を受理せず、病気休暇の申し出を拒否したうえ、「うつ病」の患者に行ってはならない「激励」を繰り返し、その後、厚生労働省の警告した労働時間をはるかに上回る超過勤務(月平均150時間超)を11ヶ月間にわたって強制したことが、この慶徳校長を自死に追い込んだものであり、これはこのような慶徳校長の訴えを放置し、超過勤務を要する業務を強制した県教委と尾道市教委による責任は重大であると考える。

(2)校長の学校運営について

1、怪文書の存在と不当な介入
 県教委、尾道市教委が最終報告を出す以前から、内部告発を装った「怪文書」が出回った。そこには、前任校長と高須小学校教職員に対する誹謗中傷が書かれており、最後に「今回の事件の首謀者は広島県教職員組合高須小学校分会の○○がリーダーです」と記されていた。
 高須小学校教職員の「いじめ」によって慶徳校長が自死したという内容を、自らは匿名としながら、実名をあげて個人を誹謗中傷する行為は、明らかに名誉毀損であり、弁護士として決して放置できない問題であると考える。
 このため、私は、調査委員会のスタッフとして、怪文書に実名を掲載された当事者と会いって聞き取りを行った。
 この当事者は、慶徳校長が提出する報告書を代わって作成をするため、休日に資料を持ち帰って業務遂行をしており、これについては、当事者の家族及び他の高須小学校教職員の証言等これを裏付ける証拠が存在する。
 このため、この怪文書の作成者を名誉毀損として刑事告訴することをすすめ、検察庁へ被疑者不詳として刑事告訴の手続きを行っている。
 さらに問題なのは、こうした無責任極まりない怪文書が、公的な場である県議会文教委員会に石橋良三県会議員によって読み上げられ、これを根拠に6月4日「文教委員会調査団」と称する調査団が高須小学校へ調査へ入ったという事実である。
 私は、これこそ、高須小学校の校長自死を政治的に利用した教育基本法が禁じている教育に対する不当な介入であると認められ、この事態に対して大きな危機感を抱かざるを得ない。
 そして、本来はこれを拒否するべき立場にある県教委や尾道市教委がこの介入に唯々諾々と従うだけではなく、この介入を共同して行おうとする思惑があることを指摘せざるを得ない。

2、県教委らの報告の問題点
 県教委及び尾道市教委は、5月9日に出した最終報告は、「研修不足」「支援不足」についての責任を認め、謝罪しているが、あくまで慶徳校長の精神的な悩みは「公務運営上の支障」であるとし、「教職員との対立」を慶徳校長自死の中心的な要因にしようとしとしている。
 それは、慶徳校長の前任校長を「校長権限が制約され、適切な校務運営組織が整備されていなかったのは前任の校長の責任であり、慶徳校長の学校運営に支障をきたす一因となった」という理由で文書訓告にしていることに象徴されている。
 しかし、広教組調査委員会の調査では、慶徳校長と教職員との間に意見の食い違いは認められるものの、前任校長の処分理由である「校長権限の制約・・」の実態は全くない。それは、県教委や尾道市教委が最終報告で、慶徳校長が職員会議において、自らが提案した通りに決定できなかったという事実自体を指摘できていないことからも明らかである。
 結局、最終報告では、本来、真相の焦点となるべき、2人の教頭が病気で倒れた原因や慶徳校長や教頭の勤務実態や仕事量についても明らかにされることはなかった。さらに、自死の直接要因と考えられる、慶徳校長の病気休暇の申し出を認めなかった経過や、病名、診断書の存在についても明らかにされなかった。教育委員会によって校長自死の本質にかかわる問題のすり替えが意図的に行われたのである。
 慶徳校長が就任後2ヶ月足らずで病気休暇を申し出た事や、二人の教頭が病気休職を余儀なくされた事も、偶然の出来事が重なったものでないことは誰の目からも明らかである。それ故、県教委及び尾道市教委は、そうした真相究明を行うべきなのに、この問題を明らかにすると自らの野責任問題が浮上するため、これをごまかすため、第三者によらない身内だけの調査委員会を設置し、「教職員との対立」が原因であるとして、これを意図的にマスコミ流して、原因をすり替えたものである。

3、文部省の是正指導について
 最後に、県教委は、今回の件においても、文部省是正指導を持ち出して、教職員組合の対応を問題化しようとしている。
 しかし、そもそもこの文部省是正指導なるものは、今回、前記怪文書を議会に持ち込んだ石橋県議が、自民党教育問題協議会会長である奥野誠亮議員に広島県の教育問題を文部省において取り上げるよう求め、この結果、KSD事件で逮捕された村上正邦元議員と小山孝雄元議員らと連携して、文部省に調査を行わせて是正指導をなさしめたという事実がある。
 このように、石橋県議は、県教委と一部政治勢力との癒着をすすめた人物で、今日の県教委と県議会文教委員会の癒着の根底はここにあるのである。
 これが、今回の教育問題の政治的な介入を許す結果となり、広島県の教育の混迷をもたらしていることを十二分に把握するべきである。

<野田正彰教授による分析>

 野田教授は、長年にわたり全国の教育現場のメンタルヘルスにかかわっている精神科医である。野田教授から慶徳校長の診断書や病気休暇願いに対する教育委員会の対応及び慶徳校長の精神的な経過について分析をお願いした。野田教授の分析は次の通りである。

(1)校長の勤務実態について

 教育委員会の報告によると、慶徳校長は、5月13日に「病院で診察を受けた結果、情緒不安定であり休ませて欲しい」と尾道市教委に申し出たと言う。私はこれを聞いて「何か隠しているのでは」と疑った。年輩の職業人が雇用者に対して、自分自身を「情緒不安定」と言うだろうか。また、精神科専門医は「情緒不安定」といった情緒的な言葉をまず使わない。
  精神科医が診断し、その診察を根拠に本人が休みたいと申し出たのなら、診断書がでているはずである。診断書には「抑うつ状態」か「心因性うつ病」といった精神医学的用語が書かれていたはずだ。情緒不安定という一般的な言葉は、第3者がある人物を評して使う言葉である。慶徳校長は診断書を提出したのに、尾道市教委はうやむやにして受理せず、今になって彼ら素人の言葉で「情緒不安定」と言っているのではないか。私はそんな疑問を抱いていた。
 結果、私の疑いは当たっていたといえる。広教組調査委員会の聞き取り調査では、慶徳校長が診断書を持って「休まして欲しい」と尾道市教委に出向いていること、そのとき、説得(激励)されて休ませてもらえなかったこと、「病名」について秘密にしておくように尾道市教委から慶徳校長に指示があったことなどが明らかになった。しかも、立場の違う複数の人間が慶徳校長から直接聞いているのである。聞き取りの内容を整理すると次のようなことであった。
 「慶徳校長は5月13日朝11時に市教委を尋ね、しんどいので病院で受診すると告げJA尾道総合病院で受診している。そのとき精神科医から『抑うつ状態、1ヶ月の休養を要す』と書かれた診断書を受け取っている。12時40分、受診を終え、診断書を持って市教委を再訪したが、『頑張って欲しい』などと説得をされ診断書は無視された。」 ところが、尾道市教委の報告書は次のように書いてある。「病院で診察を受けた結果、情緒不安定と言われ、休ませて欲しいと言われた。尾道市教委職員は、教頭不在によって校務運営に対する不安から、弱気になっているのだと考え、支援について説明を行い、頑張っていただきたい旨を伝えたところ、理解され引き続き校務運営に努力されることになった」としている。
 ここでは「診断書」の存在についても「病名」についても隠されている。
しかし、診断書の受け取りを拒否し、「うつ状態」であることを知りながら休ませなかったことは、教育委員会による人間蔑視の行為である。そして、自らの非人間的行為を隠蔽するために、他者をおとしめようとする偽装工作(報告書)という二重の犯罪を犯していることになる。
教育委員会の犯罪行為の重大性について、もう少し触れておく。「うつ病」が過労自殺の大きな要因のひとつとなっていることは、6月10日の厚生労働省の「公務災害認定のまとめ」を見るまでもない。「うつ病」の治療の基本は「休養と薬物療法」であるが、休養をとらないまま過重労働を継続するならば「薬物療法」は意味をなさない。精神科医から指示されれば、雇用者には「休養を与える」責任がある。今回の教育委員会の行為は、わかりやすく言えば「肺結核で休養を要す」という診断書が出ている人を、「大したことはない、働け」と酷使し、喀血させて死に追い込んだようなものである。
 現在、うつ病に対する相談業務が大きな課題になっている。なぜならば雇用者に相談すると人事にかかわって「不利益を受ける」と言うことで相談できず、適切な処置を受けずに自殺に至るケースが多いからである。しかし、慶徳校長は、雇用者である教育委員会に間違いなく相談したのである。にもかかわらず適切な処置を与えられず死に追いやられたのである。教育委員会はこの責任を免れることはできない。

(2)校長の自立した学校運営はあったのか

 尾道市の公立小中学校の実態は、マスコミが「尾道市で、病気で休む校長・教頭・教職員が6%、全県では1%」(中国新聞 3月14日)と報じているように異常な実態であった。私はその背景を探った。
 現在、尾道市は、「尾道教育プラン21」なるプロジェクト事業をすすめている。来年度に向けて30校の小中学校全てに学校選択の自由が準備され、加えて、県教委の基礎基本定着状況調査とは別に、文部科学省の抽出学力テストの実施、また学校ごとに1校1研究を課して研究授業を義務づけている。道徳についても全校で研究授業をするよう義務づけている。
 これだけではない。文部科学省が全国で7校を指定するコミュニティースクール実験校(土堂小学校)に立候補し、民間人校長についても立候補したのである。新学習指導要領・完全学校5日制実施に伴い、児童生徒への評価方法の変更や授業時間数確保のためのシラバスや週案の作成など、専門職として経験を積んでいるベテラン校長でさえ音を上げる状況を私は知っている。慶徳校長は、その上に「尾道教育プラン21」なる抱えきれないほどの荷物を背負わされて高須小学校に赴任させられたのである。もちろん民間人校長の期待も一身に背負わされた上である。県教委や尾道市教委の「メンツ」を背負わされたといった方がいいだろう。たった2日間の事前研修で「成果を出せ」といわれた慶徳校長にとっても悲劇だが、それを引き受けなければならなかった高須小学校の教職員の悲劇でもある。私は、高須小学校の学校運営がどうであったかを問う以前の問題がそこにあることをまず指摘しておきたい。
 さて、果たして学校長の自立した学校運営はあったのだろうか。私は、慶徳校長の1年間の経過を聞き取りながら検証してきたが、慶徳校長が校長としてなにがやりたかったのか。教育委員会は慶徳校長になにを求めていたのか、結局なにも見えてこなかった。私は慶徳校長が自死した直後、尾道市教委の山ア教育長に、「慶徳校長はどんな学校をつくりたいと言っていましたか」と尋ねている。教育長は「子どもが学校に来るのが楽しい、行かせたいという学校つくりたい」という思いを持っていたと言ったが、私の問い直しに対して「直接聞いていないですが・・・」と答えた。これが実態である。尾道市教委の教育長は、民間人校長という重責を選んだ人とこれからの高須小学校のイメージについて、心から話し合ったこともなかったのである。その後、山ア教育長は高須小学校へ学校訪問の1日しか出向いていないのである。慶徳校長と尾道市教委との関係は指示と報告の関係でしかなかったといえよう。「校長の学校自己診断票」「学力テストの分析」「運動会の国旗・国歌のとりくみ状況調査」「心のノートの活用計画」「卒業証書授与式のとりくみ状況報告」「国旗・国歌実施状況報告」等々、尾道市教委から求められた提出書類は、慶徳校長が勤務した1年間で370件に及んでいると言う(尾道市教委発表)。その大半は、報告の前に微細にわたる指示が出され、点検のための報告となっていた。たとえば「国旗の位置はどこか」「誰が国歌斉唱の号令をかけたか」「国歌はピアノ伴奏したかどうか」「子どもの声の大きさを3段階で」等の報告を求めているが、その前に、「職務命令の出し方」や「職務命令違反者に対する『処分』のための確認の仕方」まで徹底した指示がだされている。
 県教委は報告書の中で、民間人校長は「企業における組織経営に関する経験や能力等に着目した校長採用を行い、学校教育を活性化することを目的」としているが、教育委員会は学校長の自立した学校運営は全く認めていないのである。
たとえば、校舎の使用許可すら校長権限ではなかったことを尾道市教委の最終報告書は伝えている。尾道市同和教育研究協議会(以下尾同教)から学校の貸し出し申請があった際、慶徳校長は尾道市教委に相談している。「尾道市教委で諾否決定したいので、申請書には押印しないよう指示されていると回答して良い」と尾道市教委は答えている。文部省是正指導の後退になるという理由で何とか貸し出しを拒否しようとする尾道市教委の意図がそこにはある。ところが一転、慶徳校長は尾道市教委に呼び出されて、貸し出し申請書に押印させられている。「その日は学校行事がなく貸し出しする上で物理的制約はない」と慶徳校長が最初に尾同教に伝えていたために貸し出しを認めざるを得なくなったということであろう。尾道市教委の最終報告には、「校長は何でこんな問題で悩まなければならないのか」との教職員からの聴取が報告されている。まさに、尾道市教委による校長のロボット化を物語っている。11月3日に高須小学校の児童が亡くなった時の葬儀の参加についても、他の校長に聞けば、本来、葬儀参列にかかわる服務の問題も尾道市教委にお伺いをたてる必要はないと言う。しかし、慶徳校長は尾道市教委に問い合わせをし、慶徳校長の常識と違う指示を伝えなければならなくなっている。慶徳校長の「私もおかしいと思うが、上からの指示なので仕方ありません」という言葉が、彼の虚しさを伝えてあまりある。

(3)教職員との対立について

 県教委や尾道市教委は5月9日に最終報告書を出すに当たって常盤県教育長、山崎尾道市教育長を戒告、両教委の部課長ら6人を文書訓告の処分にした。学校運営に不慣れな校長への支援が不十分だったという理由である。その上で慶徳校長の前任校長も処分にしている。理由は「校長権限が制約され、適切な校務運営が整備されていなかった」のは前任の校長の責任であり、自殺した校長の学校運営に支障をきたす一因となったとしている。教職員といっても前年の4月には人事異動があり、変わっているであろうが、「尾道市立高須小学校教職員」と言う固定された集合体があるかのように、県教育長は決めつけている。県教委や尾道市教委の報告書は教職員の非を印象づけようと、自殺に至る道程とはおよそ無関係なことを延々と書き続けている。しかし、具体的に校長の権限が侵された事実を何一つ拾えず、そこで「結果としては市教育委員会の指示した事柄が実現されている」と書くしかなかった。それ故、高須小学校の教職員を2002年度末人事で大量異動(12人)させ、また、前校長を処分することで間接的に高須小学校の教職員はひどい集団だと世間に思わせようと謀ったのである。
  一例だけあげておこう。県教委の報告書の中に、3月7日に実施した人事評価制度の研修で講師に来ていた木の庄東小学校の花咲校長からの聴取でこう報告している。「慶徳校長が『藤井教頭先生が、引き続き休まれるが、実は3月11日の朝、7時30分にご挨拶にこられます』と言った途端に、数人の教職員が立ち上がって『何で来るんですか』『7時30分にどうやって私たちに来いと言うんですか』『会ってゆっくり話す時間もないのに、来られる必要はありません』などの発言があった。これに対して校長は一言も言葉がなかった」となっている。私は、このやりとりはおかしいと思っていた。なぜならば、慶徳校長が自死した直後、尾道市教委が保護者説明会を行う前に、「しばらくの対応として病休中の藤井教頭に復帰してもらおうと思っている」と尾道市教委が言った時、高須小学校の教職員は病休中の藤井教頭の体調に配慮しない尾道市教委の対応に抗議し、撤回させていた経過を知っていたからだ。この件については案の定、報告書の綻びがでてきた。6月16日の尾道市議会総務委員会で、奥田議員の「そのようなこと(教頭訪問に対して校長を非難したこと)があっていいのか」という質問に対し、尾道市教委の黒木学校教育課長が「発言した教職員は病気療養中であった藤井教頭が早朝来ることや寒い時期であったことから藤井教頭の体を心配して『そんな早い時間に来なくてもよいのではないか』という主旨で発言したものであります」と報告書と全く違う答弁をしている。私がもう一つおかしいと思っていた点は、なぜ、たまたま研修会の講師できていた花咲校長が聴取に対してこのような発言をしているのかという点だった。県教委が「教職員と校長の対立」に絞った誘導尋問をするか、花咲校長が聞かれてもないことを言わない限り、関係者とはいえない立場の人間のこうした発言は拾えないのである。
 もう少し「教職員との対立」と言われていることについて触れておく。
 私は、たくさんの高須小学校関係者の聞き取り調査に立ち会った。そして、慶徳校長は自ら進んで民間人校長になったのではないということを知った。しかし、銀行マンとして身につけた組織への適応性から、慶徳校長はそれでも校長職を何とかこなそうとしていたのだろう。だが、現場で待っていたのは「学校文化がわからない」「数奇な教育用語がわからない」「教育委員会から送られてくる多数の書類をどう理解し、どう書いていいのかわからない」という現実であった。教職員から質問されると「私は素人なのでわかりません」と答えるしかなかったという。わからないまま、全て「通達」と告げて「お願いします」と言うしかなかったのである。教育委員会の報告には、なにもわからない校長を支援しなければならない教職員の立場については一片の考慮もない。聞き取り調査の中で、「素人なのでわかりません」という校長と教職員の両方の苦悩が見えてきた。教職員にとって校長から説明を受ける以外、理解し納得することはできない。また、質問をすることも意見を言うことも教職員としての責務である。それでも教職員は校長と付き合い「わからない」と言って苦しい思いをさせないようになっていたと複数の教職員が答えている。教育基本法に「教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない(第6条)」とあり、さらに「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対して行われなければならない(第10条)」と明記されている。先にも述べたが、当然、教員は自分の意見を述べ、不当と思えることは批判しなければならないのである。また、6月17日締め切りの提出書類であった「校長の学校自己診断票」で慶徳校長は「職員会議などで、校長権限が侵されることはない」旨を回答している事実も明らかになった。実際に校長の提案通りにならなかった事例はない。だとするならば、尾道市教委が下ろしてくる通達について質問したり意見を言うことさえ「校長権限が制約された」と教委は決めつけていることになる。意見も認めないというならば、広島県の教育委員会は前近代的な全体主義の機関と言うことになる。

(4)重ね合わせることの必要性について

 私は、今回、高須小学校の問題を追って、全国の学校現場の病理的な実態と重ね合わせることの必要性を感じている。学校現場では、職員会議で意見を言うことがなくなってきている。いや職員会議すらもっていない実態が数多くあるだろう。意見が出ないのは教職員が納得しているからではない。教職員から意欲を奪い、学校から活力を奪っている結果である。なぜ、自分は教職を選び、教職に身を置いたのか、その初心を失いつつ、疲弊し、追いつめられ、結果、あるものは病気休職を余儀なくされ、また若年で教職を去り、命を絶っている現実がある。
 公立学校の教職員は社会的に見れば安定した職であろう。しかし病気休職者は年々増加し続けている。しかも病気休職者の中で精神疾患の占める割合が増えている。連合の全国調査によれば、2001年度の病気休職者の内で精神疾患の占める割合は教育公務員以外の公務員が25%であるのに対して、教育公務員は48%となっている。特に広島県の公立学校職員の精神状態は急速に悪化している。広島県では昨年末の教職員の早期退職者は214人に達している。教諭の退職者は165人(退職者の内の82%)、定年で退職した人は37人しかいない。広島県の教育関係者、マスコミはもっと真剣にこの問題に向き合うべきである。
  「教職員として自分の初心を失うかどうか」「教職員としての自分を否定してしまうかどうか」の問題である。一旦、自己否定してしまうと、「なぜ自分は教職に就いたのか」という原点にはなかなか戻れない現実がある。だから自分の心を壊していくのである。
 全国でどれだけの教職員が疲弊し、精神的に追い込まれているだろうか。高須小学校で起きた出来事と重ね合わせる必要がある。
(5) 慶徳校長を自殺へ追いつめた原因について

 なお、自殺へ追いつめた原因をまとめると、第一次原因は尾道市教委が、今年三月、家の近くの小規模校への転職の希望を断ち、再度、民間人校長として成果を出せと告げ、絶望させたことにある。第二次原因は、うつ状態の診断書さえ受け付けず、一切休養を取ることを許さず、抗うつ剤や睡眠導入剤の服用と疲弊が悪循環に陥っていたことである。第三次原因は、校長を教育委員会の命令を忠実に実行する中間管理職として使用し、膨大な通達で苦しめ、職務に対する無力感をつのらせていったことにある。三次、二次、一次と負荷が積み重なっていき、慶徳校長は自死に至ったのである。

おわりに

 読売新聞社は全国の民間人校長に対するアンケート調査を行っている。その中で国や教育委員会への要望が出されているが、黒瀬中学校の民間人校長、了安校長は次のように答えている。「学習指導要領や教育委員会からの指導、規制枠が厳しすぎる。もう少し枠をゆるめ、自由で自主的な教育活動を促進すべきだ」 (読売新聞5月26日)、そして同じ紙面で松浦義満和歌山大学教授は、「学校は子どもの成長の場であり、教育の効果は個々違う。利潤を追求する企業の経営ノウハウをスライドさせると、親や教師と対立する可能性もある」と指摘し、「民間人校長は数ヶ月間の研修でカバーできない。数年間は現場と教委で経験を積んだ上、条件整備することが必要。また現場の教員や地域社会の合意を得るためにも公募が望ましい」と解説している。 また、5月26日の河村副文科大臣との懇談で民間人校長らは「不慣れな着任時で入学式など大きな行事があるのに実践報告を求められ負担感があった」「信頼関係がないと管理が優先して活力ある組織にならない」「教育委員会は何かあれば集合させるお上意識でなく現場に出かけてくる姿勢を」(中国新聞5月27日)と発言している。先の黒瀬中学校の了安校長もこの席上「教頭が教育委員会から指示された事務作業に追われている」(中国新聞5月27日)実態を訴えている。これらの実態が、特に広島県で顕著であることは了安校長の言葉を借りるまでもない。おびただしい報告書の山、議論を認めないトップダウン、校長権限をいいながら実際には学校や校長の裁量を一切認めない教育委員会の指導助言など、これまでも広教組が県教委に指摘し続けてきたことである。こうした教育委員会の姿勢こそ、増え続ける超過勤務、昨年の教諭退職者のうち実に8割以上が若年退職という実態、そして病気休職の増加と精神疾患の占める割合の増加といった結果を生みだしているといえる。調査では、文部省是正指導以降、慶徳校長や石川校長(世羅高校)を含め12人を越える教職員が自殺に追い込まれている。しかしながら、県教委及び尾道市教委の最終報告書は「今まで以上に管理強化を徹底せよ」というものである。そうした「すり替え」を決して許してはならない。 そのためにも、慶徳校長の抑うつ状態を認めず、隠蔽の指示まで行い、一年間にわたって苦しめ、死においやった教育委員会という権力の犯罪を徹底して追及していく。

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